お水取り

二十四節気では「啓蟄」の頃──、
桃の花が咲き、沈丁花の甘い香りが漂い始めます。

啓蟄とは、土の中で冬ごもりをしていた虫たちが、
春の気配に目覚めて動き出す時季のこと。
恵みの雨が大地を潤し、植物の息吹も強まります。

毎年三月一日より十四日まで行われる、
奈良の東大寺二月堂の法要「修二会(しゅにえ)」。
春を告げる行事として親しまれ、
厄祓いをして五穀豊穣や除災招福を祈ります。

修二会は、東大寺の実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始して以来、
千二百年以上も絶えることなく続いてきた仏教行事。
この期間中は毎晩、僧侶たちが二月堂の舞台の欄干から
大きな松明(たいまつ)を振りかざし、
火の粉を散らす「お松明」が行われます。
火の粉を浴びると一年を無病息災で過ごせると言われ、
多くの参詣人が集い賑わいます。

三月十二日深夜から十三日未明にかけて行われるのは、
修二会の締めくくりとなる重要な儀式「お水取り」。
二月堂前の井戸から本尊に供える聖なる水
「御香水(おこうずい)」を汲み取る儀式で、
これを飲むと病や厄から免れるとされています。
しめやかに執り行われるお水取りの様子を
“水とりや氷の僧の沓(くつ)の音”──、と詠んだのは松尾芭蕉。
松明の炎の下、石段を駆け上がる僧侶たちの下駄の音が、
深夜の凍てついた空気を切り裂くように鋭く響き渡る、
そんな情景が目に浮かぶようです。
「お水取りが終わると暖かくなる」と言われるように、
春の訪れを告げる風物詩として、今日まで大切に受け継がれています。

蕗の薹に次いで蓬やつくしも芽吹く、木の芽どき。
蓬のやわらかな新芽を練り込んでつくる蓬餅は、
古より愛されてきた春ならではの味覚。
冬場に不足した栄養を補うことのできる、先人の知恵でもあります。

春を呼び込むさまざまな慣わし。
生命の息吹を感じ、麗らかな季節の訪れを祝って。